神亀元年(724年)2月に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸し
その景観に感動、この地の風致を守るため守戸を置き、玉津嶋と明光浦の霊を祀ることを命じた詔を発しました。
この日から和歌の聖地として千三百年続く歴史と誇りを再発見しましょう。
1300年前、聖武天皇は和歌の浦の素晴らしい景観をいつまでも残すよう詔を発し、後の徳川家もこれを保護してきました。そして、絶世の美女でもある和歌の神様・衣通姫が鎮座する玉津島は、万葉歌人として名高い山部赤人はじめ各時代の歌人がその景観の美しさを詠ってきた日本を代表する和歌の聖地です。そして、豊臣秀吉が紀伊国に築城する際、この城を和歌の聖地にちなんで和歌山城と命名したことが、現在の和歌山県・和歌山市という名称につながった歴史があります。
2020年から顕著になった短歌ブーム、そしてNHK大河ドラマで放送中の「光る君へ」で改めて全国的に注目された和歌の美しさなど、時流的にも和歌の聖地・和歌の浦を令和の時代に改めて広く認知させる好機といえます。この素晴らしい歴史と文化を次の100年につなぐ大祭に、どうか皆さまのお力をお貸しください。
大祭実行委員会 委員長 中山 勝裕
ここ和歌の浦は、太古の昔から大きな底力を有した土地でした。そして西暦724年、聖武天皇の玉津島行幸によって、歴史の表舞台に躍り出ました。
その折に、山部赤人が詠った玉津島讃歌は、和歌の聖典『古今和歌集』(平安時代)の「仮名序」が取り上げるところとなり、和歌の聖地として現代に至るまで、不動の位置を占めてまいりました。
これまでの1300年を支えてきました、和歌の浦の底力、歌の力、人々の胆力にあらためて思いを致し、祝い、そして次の1300年を目指そうではありませんか。
大祭実行委員会 委員・学術顧問(近畿大学名誉教授) 村瀬 憲夫
和歌の聖地和歌の浦誕生千三百年記念大祭が盛大に開催されますことを心からお祝い申し上げます。美しい景観と豊かな歴史文化を有する和歌の浦は、古くから多くの人々に愛され、千三百年という歴史の中で、この地を訪れた歌人によってその素晴らしい情景が詠まれるなど、文学や芸術にも大きな影響を与えてきました。まさに和歌の聖地と呼ぶにふさわしい場所であり、県としてもより多くの方々に和歌の浦の魅力を発信してまいります。
結びに、関係者の皆様の御尽力に改めて感謝を申し上げますとともに、和歌の浦の魅力が次世代に受け継がれていくことを心から祈念いたします。
和歌山県知事岸本周平(大祭実行委員会特別顧問)
和歌の聖地・和歌の浦誕生千三百年記念大祭が盛大に開催されますことを心からお喜び申し上げます。今年は724年に聖武天皇が紀伊国に行幸し、和歌の浦の美しい景観を末永く残すように詔を発し、また、行幸に供奉した宮廷歌人山部赤人が和歌の浦の美しさを詠ってから1300年という記念の年になります。この和歌の浦の景観を後世に継承していくために、これから先も官民一体となって努めてまいりたいと存じます。
結びに、実行委員会をはじめ本大祭の開催にご尽力された関係者皆様方に心から敬意を表すとともに、和歌の浦の益々の発展を心より祈念申し上げます。
和歌山市長尾花正啓(大祭実行委員会特別顧問)
このたび、「和歌の聖地・和歌の浦誕生千三百年記念大祭」が開催されるにあたり、関係者のご尽力により盛大に行われますことに感謝の意を表します。
自然の恵みに溢れ、豊かな歴史や文化を持つ和歌の浦は、古来より和歌や詩に詠まれ、多くの人々に親しまれてきました。現在、和歌の浦では市民によるさまざまな活動が展開されており、2010年には国の名勝に、2017年には日本遺産にそれぞれ指定されましたが、これは歴史的な価値のみならず、和歌の浦を愛する方々のご尽力の賜物であると改めて感じております。
このたびの催しの開催により、これからも和歌の浦がその魅力を発信し続けることを願い、皆様の益々のご発展を心よりお祈り申し上げます
和歌山大学学長本山貢(大祭実行委員会委員)
聖武天皇と玉津島(和歌の浦)行幸
聖武天皇(701~756)は、即位したその年の神亀元年(724)10月8日に、玉津島(和歌の浦)を訪れ、この地に13日間、滞在します。この間の16日に詔(みことのり)を発します。
山に登り海を望むに、此間最も好し。遠行を労らずして、遊覧するに足れり。故に弱浜の名を改めて、明光浦とす。守戸を置きて荒穢せしむること勿かるべし。春秋の二時に、官人を差し遣して、玉津島の神、明光浦の霊を奠祭せしめよ。
玉津島(和歌の浦)の風光を賞で、この地を大切に保全し、土地の神を手厚くお祀りするように命じた詔です。そしてこの行幸にお伴した、宮廷歌人・山部赤人は、天皇と並み居る臣下を前にして、堂々たる玉津島(和歌の浦)讃歌を詠じたのでした。
やすみしし わご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代よりしかぞ 貴き 玉津島山 (万葉集巻六・九一七)
反歌二首
沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちい隠り行かば思ほえむかも(九一八)
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る(九一九)
この行幸の様子は、平城(なら)の都に知れわたり、玉津島(和歌の浦)の地は歴史の表舞台に踊り出たのです。その後、平安時代に編まれた、和歌の聖典『古今和歌集』の仮名序に、赤人の「若の浦に」の歌が取り上げられるところとなり、玉津島(和歌の浦)は和歌の聖地として注目されて現在に至っています。聖武天皇の玉津島(和歌の浦)行幸から1300年の節目に当たる今、この地が有する底力、それを支えた人々の熱意と、そして歌の力を顕彰し、未来に力強く継承していこうという思いと願いを、この大祭に結集いたしました。
記念行事
和歌の聖地・和歌の浦 誕生千三百年記念大祭 実施目的
1.再現:和歌の聖地であり和歌山の名称の起源である歴史を周知
2.継承:和歌の文化を未来へつなぐ参加型・教育連携活動の実施
3.保全・活用:和歌に詠みたい環境・景観の保全と創造(和歌の浦SDGs)
4.普及・啓蒙:全国へ、世界へ和歌の文化を発信(日本遺産として知名度向上)
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